脳とASD
ASDのしくみ
一時期は、言語習得にもかかわりのあるミラーニューロンシステムが自閉症の症状に関わっているのではないかと考えられてきました。しかし、現在ではミラーニューロンシステムだけの機能障害だけでは、症状を説明しきれないと考えられていて、様々な角度からさらなる研究が行われています。
社会脳システムの機能低下
fMRIを用いた研究からは、ASDのある人は「社会脳」のネットワークに機能低下が見られることがわかっています。「社会脳システム」とは、多様な対人認知にかかわる脳のシステムの概念です。ミラーニューロン、前頭皮質、上側頭回、扁桃体、前帯常回などの部位が、システムとして対人認知に重要な働きを果たしているという考え方です。十一によれば、人の表情を読む(上側頭溝)、ミラーニューロン、人物の顔の把握(紡錐状回)、内省やイメージ形成(内側前頭前野)などの部位は、いずれも扁桃体との機能連関がある部位である、とされています(参考文献)。
ミラーニューロン
ミラーニューロンとは、共感のしくみに深くかかわっているかもしれないと考えられている神経細胞で、他者が行なっている行為を観察するときに反応する神経細胞の総称です。まるで、自分が行なっているかのように反応しています。
ラマチャンドラン(V.S. Ramacandran)は、自閉症の症状のいくつかは、このミラーニューロンシステムの機能障害によって説明できるとしています。自閉症のある人は、脳のいくつかの領域でミラーニューロンの活動が低下しています。下前頭回(運動前野の一部)でのミラーニューロンの活動低下が、他社の意図の理解を困難にさせている可能性のほか、島皮質(感覚の自覚(主観的体験)にかかわる部位で、側頭葉の奥にある)および前帯状皮質でのミラーニューロンの機能障害が共感の欠如にかかわっている可能性が考えられています。
扁桃体
これまでの剖検(亡くなった患者の脳を解剖することで障害部位を検証する手法)の報告では、ASDのある人には、基本的な情動をつかさどる扁桃体の異変が認められています。
内側前頭前野
現在、研究が進み、社会脳システムのなかでも前頭葉にある内側前頭前野の役割が明らかになりつつあります。一般的にコミュニケーションは話し手がある情報を伝えたときに、聞き手がその情報に一定の反応をすることで成立しています。相手の反応がよければ、話し手はもっと話したいと考えます。このとき相手が「楽しそうだ」とか「つまらなそうだ」とかの反応を総合的に判断しているのが内側前頭前野です。さらに、内側前頭前野は、判断した情報を大脳基底核にある報酬系とよばれる神経回路へ伝えていることがわかっています。これは、判断した情報から、聞き手の心のうちを類推して、話し手である自分が、このまま同じテーマで会話を発展させるか、話題を変えるのかの判断材料を送っているのです。
内側前頭前野は相手の反応を総合的に判断していますが、それは言葉だけではありません。実は視線や表情などの非言語情報の判断にも大きくかかわっているのです。それを明らかにしたのが山末英典博士らの研究チームでした。fMRIで脳の活動状態を診断すると、ASDの特性をもっている人たちは、内側前頭前野の非言語情報を処理する領域があまり働いていないことがわかっています。ASDの特性をもっている人は、非言語情報である表情の情報を読み取りづらく、言葉や会話の内容などの言語情報から相手の反応を判断しがちです。こうしたことから、社会的コミュニケーションが苦手なことが脳の活動からわかってきたのです。
さらに、最近の研究では内側前頭前野は相手の心を類推する能力もつかさどっていることがわかってきたのです。他人の心を理解しているかどうかを確かめる方法の一つに、「誤信念課題」があります。これは、自分が知っている事実を相手が知らない時に相手の行動を正しく予測できるかということを調べる課題のことです(例:サリーとアンの課題)。ヒトの脳画像研究では、誤信念課題を解いているとゆうに内側前頭前野を含んだ広範囲の脳の回路が活動していることが知られています。
ASDの年齢による変化
ASDのの症状が年齢と共に緩和されるということが経験的に知られています。これは、脳が年齢とともに発達し、特性も変化するという特徴があるからです。
脳の体積の増減
脳の表面の神経細胞がある場所は、灰白質と呼ばれています。灰白質の体積は、生まれてから徐々に体積を増していきます。思春期にピークを迎えて、その後、体積はゆるやかに減っていくのです。これに対して、ASDの人の脳は、生後1〜2年の間に脳体積が急激に上昇して、その後、ゆるやかに一般の子どもの脳と同じ体積に近づいていって、普通に発達した人の脳の体積とほとんど同じになります。ところが、1〜2歳の時期の脳の発達家庭の違いによって、脳のある部分の体積が普通に発達した脳と比べると体積が大きかったり、少なかったりすることがおきるのです。たとえば、脳の体積異常をおこしている部分としては、次の部位があげられます。表情の認知にかかわる扁桃体や顔の認知や視線処理などに関する紡錘状回、対人コミュニケーションで情報処理の中心となる内側前頭前野、行動や運動の調整をおこなっている小脳などがあります。こうした脳の体積異常が対人コミュニケーションの機能低下を引きおこし、社会生活に影響を与えていると考えられているのです。(参考文献)
ASDの五感
ASDの症状をもっている人では、視覚や聴覚、嗅覚、触覚、味覚などが敏感になってしまうことがわかっています。
神経科学と化学物質のシグナル伝達を研究しているヤアラ博士は、陸上哺乳類が嗅覚に頼って他の動物の感情を読み取っている点に目をつけました。そして、ASDの人の嗅覚過敏はそうした体臭(汗や体臭成分として知られている物質)に対する自律神経の反応の仕方が、普通に脳が発達している人と異なるという仮説を立て研究しました。まず恐怖を感じている人の汗を被験者にかいでもらいました。すると普通に脳が発達している人は、自律神経が刺激され、興奮したのに対し、ASDの特性をもっている人は、何も刺激されなかったのです。一方、リラックス効果が得られる化学化合物のにおいをかいでもらう実験もおこないました。普通に脳の発達をしている人は、リラックス効果があらわれたのに対して、ASDの人は逆に驚きが増すという逆の効果が得られました。
ヤアラ博士の実験結果を受け、東京大学の岡本雅子特任准教授らの研究チームでは、普通に発達した人の脳とASDの人の脳とで嗅覚の脳活動がどのように変化しているのかを脳波の測定をして研究しました。すると、普通に脳が発達している人と、ASDの人の脳では最初ににおいをかいだ時の脳の処理には違いが認められませんでした。ところが、そのにおいの記憶がどのような意味があるのかを判断する過程で違いがあらわれました。具体的には、ASDの人の脳では、後頭葉の一部である楔部や帯状皮質の一部である後帯状皮質といった嗅覚以外の感覚刺激の処理にも関与する脳領域が活動していたのです。(参考文献)
ミクログリア仮説
近年、脳内の免疫細胞や脳内マクロファージとして活躍するミクログリアに注目した精神疾患の新しい仮説が注目されています。これを脳の「ミクログリア仮説」とよんでいます。
ミクログリアは脳や脊髄といった中枢神経系に分布しているグリア細胞の一種です。通常の清掃モードでは、枝のように突起を伸ばして、死んでしまった神経細胞を除去するなどの仕事をしたり、脳内の環境変化を点検したりしています。ところが、ストレスや病原体が侵入することで、ミクログリアは活性化して攻撃モードになります。攻撃モードになったミクログリアはアメーバ状へ形を変え、標的の部位まで移動します。そして、炎症性の情報伝達物質であるサイトカインを放出し、他のミクログリアの応援をよんだり、病原体などにおかされた細胞を破壊する分子であるフリーラジカルを放出したりします。このような活性化したミクログリアがアルツハイマー病などのさまざまな病気を引きおこしていると考えられています。
ヒトを対象としたASDの疫学調査では、妊娠中のウイルス感染が胎児のASD発症リスクを上昇させているということが報告されています。そこで筑波大学の武井陽介教授、佐々木哲也助教授らの研究チームは、人為的に炎症性サイトカインでマウスの脳のミクログリアを活性化し、その結果を研究しました。すると、ミクログリアは移動して、対人コミュニケーションに重要な共感や感情による記憶にかかわっている帯状回にある脳室帯に集まっていることがわかりました。さらに、集結したミクログリアは菌やその他の固形物を取り込む貪食性が活性していたことも認められました。脳体質や脳室下帯には、神経細胞を生み出す神経前駆細胞があります。活性化したミクログリアによって、神経前駆細胞が過剰に食べられることで脳の形に影響をおよぼしていることがわかったのです。(参考文献)